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ルーマニア記  1

これは、20年ほど前の話。 

 

突然だが、、、

 

私はプロになりそこねた、ロックミュージシャンである。

(今の私からは想像がつかないと思うが。)

 

私のロック時代は、14でヘヴィメタと出会い、16でドイツではじめてバンドに参加してから、最後のバンドが解散した時点の24歳、と年数にすると10 年もなかったわけであるが、その間に、フュージョン、プログレ、ジャズ、ロック、ヘヴィメタ、R&B、ポップ、ゴスペル、ドイツの民族音楽まで も、なんでもかじってみた。

(まったくもって、音楽の悪食である)

 

ピアノの他にも、ギター、ヴォーカル、トランペットなんてやってみたりもして、今思えば赤面してしまうようなライブのエピソードも腐るほどある。 

(一時は、キーボードをやめて、リードギタリストになりたいと本気で思ったこともあった。恥知らず、というのはこういうことをいう。) 

 

それはともかく、最終的にバンドとしては最後になったロックバンドは、私がメンバーの一員になったときには、すでにセミプロであり、いままでのバンドと意気込みがあきらかに違う。 

 

しかも、加入後はじめてのステージが、ルーマニアの首都ブカレストのロックフェスティバル。

 

ヘッドライナーは、あのドイツが誇るロックバンド、スコーピオンズと、知るひとぞ知る、あのASIAだ、というのであるから、まったくもって、信じられないような話なのである。 

(私だって、自分の話でなければ信じてないかもしれないくらいだ。)

 

それまで、経験したライブは、大きくてもせいぜい1000人程度。 

それが、2万5千人、というのだからケタが違う。 

 

私のロック人生の中で、まさに棚からぼた餅的な展開、 

期待はふくらむのであった。 

 

ブカレストまで、ミュンヘンから、約1500km 

本来なら飛行機で飛ぶところだが、ギタリストのラック(エフェクト類)が超重く、飛行機では無理、ということになり、車で移動することになってしまった。 

 

といっても、その当時は免許ももっていなかったので、運転は人任せの気楽な旅。 

激しいハードロックが車の中に響き渡り、もう気分はロックスターなのである。

 

しかし、ルーマニアまでのみちは思ったより長く、数々の難関が待ち受けていたのであった。、、、、。

 

つづく